ムン・ジヨンさんジュネーブ国際音楽コンクールで優勝
今年のヤングプラハ出演者、ムン・ジヨンさん(MUN Ji-Yeong)さんがジュネーブ国際音楽コンクール ピアノ部門で栄えある一位を取られました。このコンクールは世界の最難関のコンクールのひとつで、優勝者にはミケランジェリ、アルゲリッチなどの巨匠が綺羅星のように並んでいます。 ファイナルで演奏した曲目はベートーベン ピアノ協奏曲第4番、ヤングプラハのトリで演奏したのと同じです。彼女のヤングプラハでの演奏について、ヤングプラハをいつも支援して下さっている島津俊子様の感想をご披露させて戴きます。
「今春、高松国際ピアノコンクールで優勝された18歳で非常に将来の楽しみなピアニストがプラハのヤングプラハ本祭でベートーベンのピアノ協奏曲第4番を演奏するかもしれない、というニュースを耳にしてからは、興奮がおさまらず、この日が来るのを待ち焦がれていました。個人的な好みで申し訳ありませんが、第4番は、ベートーベンのピアノ協奏曲の中でも、内容、音楽共に最高傑作だと思い続けています。それゆえに、私にとってもこの大事な曲を、若い演奏者に、一見、技術的には超技巧ではないにせよ(このことで、実際には音創りの冒険をさせ、奏者の隠れたキャラクターをそのまま否応なしに映し出すという魔術も持っているのかもしれませんが)巨匠気取りで弾かれるのはいたたまれませんし、また巨匠の演奏を再生するようなコピーマイスターの演奏にも感動できません。指が動いて、間違いがなければ上出来、とかたずけられるような作品ではないのです。
ですので、今回のムンさんの演奏には、私も尊敬する某先生の、彼女の将来性についての前向きな評価をお聞きしたことも手伝って、興奮に近い好奇心で最初の和音がどんな風に響くのか、その一瞬をわくわくと想像していました。と同時に、思惑と違ったらどうしよう、という不安もありました。この初めの一瞬で、自分勝手な言い方ですが、私にとっての好き嫌いが決まってしまうのです。
この曲の初めから、実に静かながら、あの【運命】を思わされるようなモチーフが出てきます。
当時のベートーベンの頭の中ではこの【たたたたっ、たたたたっ】という音が払っても払っても繰り返されていたのでしょう。この作品が書かれた時期には、その【運命】があちこちに感じ取れる曲が何曲もあります。
ムンさんのピアノの最初の和音に、私は心を突かれました。こんなに若い女性なのに、これは何なんだろう。まるで人生を達観した名匠の出だしです。一音一音に精いっぱいの愛情が込められ、深い敬虔な気持ちで鍵盤の上に指が置かれたように思えました。まるで天上から降りてきたような神聖な音から始まる第一楽章から、緊張感の高まるこの世の作品とは思えないほど美しく、霧に包まれたかのような不思議な第2楽章を経て、その最後の音を息も止めて耳を研ぎ澄まして聴き終えました。そしてすぐあと、何とも言えない【ア・ウン】の間を置いて、あのさわやかな第3楽章がきらびやかに春の滴が飛び跳ねるような軽快なタッチで始まった時に、はじめてほっと安堵のため息が出ました。第1楽章、第2楽章で、ムンさんの若い人生ながら、幼いころからピアノに触れたくて、至難の環境にありながらも音楽を一心に求め、崇拝に近い思いで音楽にアプローチする姿が本物だったということが明らかになって、今、ピアノで自由に心境を表現できる喜びが溢れんばかりにこちらにも伝わってきました。幸せをいただく、というのはこんな時の気持ち、と思いました。これこそ、ハングリー精神から生まれた嘘のない音楽であることを実感しました。
今年19歳になるムン嬢の普段の姿を、ラッキーなことにほんの少し垣間見る機会を得ました。娘のピアノを聴きたいばかりにやってきた、と語られた彼女の母親ですが、娘のムンさんが体の不自由な母親をかばい、思いやりたっぷりの優しさで接している姿にも感銘しました。ピアノに触れていないときには、母娘で静かに本を読み、周りの人たちと語り合い、母親が疲れてうとうとし始めると、娘のムンさんは、手元に置いた上着を静かに母親の肩にかけてあげていました。これだけピアノが弾けて、しかも足や手が自由ならないお母さんを助けてあげている。私には、とても想像のつかない彼女の人生にはなくてはならない精神力の強さを目のあたりにしたような気がしました。一般的には、自分のキャリアのために邪魔になりそうな生活環境でも謙虚な姿で受け入れ、尊い命への愛情が音楽の中で広がるのを体験させていただきました。20歳にもならない乙女にできることでしょうか。
今までこのベートーベン第4番には何度も接しながら、奏者のメッセージがしっくり伝わってくる演奏にはなかなか出会う機会が少なかったのですが、今回、本当に貴重な演奏を聴かせていただきました。
彼女の素顔、それに第3楽章のあけっぴろげに朗らかな希望に満ちた演奏のおかげで、この人は、まだまだ乙女らしい童心を持っていて、決してこれが完了形ではない、時期が来れば魅力的な花を咲かせてくれる頼もしい将来がある、と確信しました。」
「今春、高松国際ピアノコンクールで優勝された18歳で非常に将来の楽しみなピアニストがプラハのヤングプラハ本祭でベートーベンのピアノ協奏曲第4番を演奏するかもしれない、というニュースを耳にしてからは、興奮がおさまらず、この日が来るのを待ち焦がれていました。個人的な好みで申し訳ありませんが、第4番は、ベートーベンのピアノ協奏曲の中でも、内容、音楽共に最高傑作だと思い続けています。それゆえに、私にとってもこの大事な曲を、若い演奏者に、一見、技術的には超技巧ではないにせよ(このことで、実際には音創りの冒険をさせ、奏者の隠れたキャラクターをそのまま否応なしに映し出すという魔術も持っているのかもしれませんが)巨匠気取りで弾かれるのはいたたまれませんし、また巨匠の演奏を再生するようなコピーマイスターの演奏にも感動できません。指が動いて、間違いがなければ上出来、とかたずけられるような作品ではないのです。
ですので、今回のムンさんの演奏には、私も尊敬する某先生の、彼女の将来性についての前向きな評価をお聞きしたことも手伝って、興奮に近い好奇心で最初の和音がどんな風に響くのか、その一瞬をわくわくと想像していました。と同時に、思惑と違ったらどうしよう、という不安もありました。この初めの一瞬で、自分勝手な言い方ですが、私にとっての好き嫌いが決まってしまうのです。
この曲の初めから、実に静かながら、あの【運命】を思わされるようなモチーフが出てきます。
当時のベートーベンの頭の中ではこの【たたたたっ、たたたたっ】という音が払っても払っても繰り返されていたのでしょう。この作品が書かれた時期には、その【運命】があちこちに感じ取れる曲が何曲もあります。
ムンさんのピアノの最初の和音に、私は心を突かれました。こんなに若い女性なのに、これは何なんだろう。まるで人生を達観した名匠の出だしです。一音一音に精いっぱいの愛情が込められ、深い敬虔な気持ちで鍵盤の上に指が置かれたように思えました。まるで天上から降りてきたような神聖な音から始まる第一楽章から、緊張感の高まるこの世の作品とは思えないほど美しく、霧に包まれたかのような不思議な第2楽章を経て、その最後の音を息も止めて耳を研ぎ澄まして聴き終えました。そしてすぐあと、何とも言えない【ア・ウン】の間を置いて、あのさわやかな第3楽章がきらびやかに春の滴が飛び跳ねるような軽快なタッチで始まった時に、はじめてほっと安堵のため息が出ました。第1楽章、第2楽章で、ムンさんの若い人生ながら、幼いころからピアノに触れたくて、至難の環境にありながらも音楽を一心に求め、崇拝に近い思いで音楽にアプローチする姿が本物だったということが明らかになって、今、ピアノで自由に心境を表現できる喜びが溢れんばかりにこちらにも伝わってきました。幸せをいただく、というのはこんな時の気持ち、と思いました。これこそ、ハングリー精神から生まれた嘘のない音楽であることを実感しました。
今年19歳になるムン嬢の普段の姿を、ラッキーなことにほんの少し垣間見る機会を得ました。娘のピアノを聴きたいばかりにやってきた、と語られた彼女の母親ですが、娘のムンさんが体の不自由な母親をかばい、思いやりたっぷりの優しさで接している姿にも感銘しました。ピアノに触れていないときには、母娘で静かに本を読み、周りの人たちと語り合い、母親が疲れてうとうとし始めると、娘のムンさんは、手元に置いた上着を静かに母親の肩にかけてあげていました。これだけピアノが弾けて、しかも足や手が自由ならないお母さんを助けてあげている。私には、とても想像のつかない彼女の人生にはなくてはならない精神力の強さを目のあたりにしたような気がしました。一般的には、自分のキャリアのために邪魔になりそうな生活環境でも謙虚な姿で受け入れ、尊い命への愛情が音楽の中で広がるのを体験させていただきました。20歳にもならない乙女にできることでしょうか。
今までこのベートーベン第4番には何度も接しながら、奏者のメッセージがしっくり伝わってくる演奏にはなかなか出会う機会が少なかったのですが、今回、本当に貴重な演奏を聴かせていただきました。
彼女の素顔、それに第3楽章のあけっぴろげに朗らかな希望に満ちた演奏のおかげで、この人は、まだまだ乙女らしい童心を持っていて、決してこれが完了形ではない、時期が来れば魅力的な花を咲かせてくれる頼もしい将来がある、と確信しました。」